校長のつれづれ日記 Episode 22 of 北海道天売高等学校

北海道天売高等学校 定時制普通科

校長のつれづれ日記

Episode 22 島の一大イベント実施!

 7月に入り、気温も上がり夏らしい日が増えてきました。7月の土日・祝日はフェリー・高速船が5便となり、観光に訪れる方々も一段と増えています。
 今回は、昨年お伝えできなかった「島民大運動会」と「地域の祭典」についてです。
 運動会は、もともと「島民運動会」と「保・小・中・高合同運動会」の2つが実施されていたものが、児童生徒数の減少、天売島の過疎化などから昭和60年を境に一つになり「島民大運動会」と名称を変え、現在まで引き継がれているようです(記念誌を頼りに書いていますが、不確かな情報です)。6月7日(土)心地よい風が吹く中、朝6時に運動会実施を知らせる花火を打ち上げ一日がスタートしました。天売体育協会の野上会長の挨拶の後、参加者全員でラジオ体操をしました。観客席には、子どもたちの応援のために100人以上の方々が来場してくれました。中には、お孫さんの活躍を見ようと島外から駆けつけたおじいちゃん・おばあちゃんの姿もみられました。最初の競技は、徒競走。ちびっ子ランドの園児から小学生、そして中・高生と距離を変えて行いました。皆、1番を目指しかわいらしい走りや本気の走りを見せてくれました。さて、高校生が出場する競技は、天高フレンドパークや三色綱引き、天高ガチリレーなど数種類ありますが、中でも「天高フレンドパーク」は毎年盛り上がる競技です。ぐるぐるバット→縄跳び→小麦粉の中からマシュマロ探し→借り人カードを引いて観客から借り人をして一緒に二人三脚でゴールを目指すというものです。目が回って転びながらやっとのことで縄跳びを終えたら、マシュマロのところでお約束の粉の掛け合いがあり、皆、頭から真っ白になり観客は大笑いです。その他、「変身DEお買い物」などのちびっ子の競技や「大人の一本綱引き」などの島民の競技があります。小中高生は、自分が競技に出場しているとき以外は、審判係、記録係、放送係、用具係に分かれ休みなく動き続けていました。今回もこの素晴らしい子どもたちに頭が下がりました。しかし、子どもたちが、この大運動会に明るくそして精一杯取り組むことができるのは、島民の方々が普段から温かい応援をしてくれるからだということ忘れてはいけないと強く感じました。
 運動会の翌週にある定通体連全道大会(№21で紹介しました)が終わると、6月18日(運動会の振替の日です)は、「地域の祭典」と呼ばれる厳島神社の祭典が行われます。朝、境内から御神輿を担ぎ島内の各町内会を回り、夕方ようやく境内に戻ってきます。各町内では、振る舞いの品を用意し御神輿を待ちます。また、行く先々でお年寄りたちが御餞米を準備し待っている姿や獅子舞に頭を噛んでもらっている姿(魔除けや御利益があると言われています)を見て、自分が子どもの頃のお祭りが戻ってきた気がしました。天売には日本の良き伝統が受け継がれていることが、本当に嬉しく思いました。
ちなみに、御神輿の担ぎ手の若い衆の半数は、高校生と先生方です。次の日は、皆体中が痛いと笑顔で話していました。
 機会があれば、皆さんも天売の「島民大運動会」と「地域の祭典」を見に来ていただければと思います。

【天売高校を振り返る】~page5 開校25年まで~
 昭和50年:増毛で行われた定体連排球大会で、男子準優勝、
       女子3位と活躍する。
       留萌管内定時制生徒生活体験発表大会で、萬谷直
       美さんが3位に入賞する。
        題「カステラをかじりながら」
       盛合校長、伊藤・山谷・越智教諭着任。
 昭和51年:留萌で行われた定体連排球大会で、男子が昨年に
       続き準優勝する。
       留萌管内定時制生徒生活体験発表大会で、萬谷直
       美さんが優勝し全道大会へ出場する。留萌管内教
       育実践表彰を受賞する。
       志佐教諭着任。
 昭和52年:2・3月に吹雪のため臨時休校や集団下校が行わ
       れた。
       池内教頭、鳴海・神田教諭着任。
 昭和53年:羽幌で行われた定体連野球大会で準優勝と活躍
       する。
       オーダー:1番吉田(遊)、2番坂本(三)、
            3番菅原(捕)、4番野上(投)、
            5番紺野(左)、6番竹内(二)、
            7番蛯名(一)、8番笹(中)、
            9番泉谷(右)
       丸山校長、田川・真下・入江教諭着任。
昭和54年:資源増殖のため人工採苗したウニの放流について
      新聞に大きく取り上げられる。HBCテレビによる
      天売高校の紹介番組「北海道・おらが高校」が放送
      される。
       片岡教諭着任。
 ロッキード事件やソ連ミグ25機亡命事件が起こった昭和51年に、ようやく天売の電話もダイヤル式になりました。高校では、資源増殖のためウニの人工採苗が開始され、水産実習視察研修旅行で小樽や函館を訪れています。昭和53年には、天売地区において「アワビ大規模増殖場開発事業」が実施されることが決定しました。高校では、タコ調味燻製、ほっけ練り製品、イカ燻製、すけそうたら・みりん干など、今では実施していない実習が行われていたようです。昭和54年には、ウニに次いでアワビの人工採苗も開始されました。ちなみに当時の生徒数は45名で、今の5倍以上でした。
 当時の天売島の若者たちが、オイルショック後の重油不足や近隣国船による武蔵堆でのオッタトロール漁などにより苦しんでいる様子が年表の資料から伺うことができます。























天高フレンドパーク.JPG天高フレンドパーク
綱引き.JPG綱引き


御神輿1.JPG御神輿1
御神輿2.JPG御神輿2


排球男子 準優勝.jpg排球準優勝

野球部 準優勝.jpg野球準優勝

おまけの独り言

「思い出づくり」

記念ボード.JPG記念ボード卒業年を迎えた3年生が、早くも思い出づくりを始めました。卒業記念にハルニレの木を植樹しました。6月25日、まず担任の高橋先生が準備した木製のプレートに「卒業記念」という文字と全員の名前を書き入れ、そして、3年生教室から見える校庭に4人全員で思いを込め丁寧に植えていました。
 このハルニレが大きく育つ頃には、この4人は立派な大人になっていることでしょう。想像するだけでも楽しみです。

 今回もたわいのない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございました。


記念撮影!.JPG記念撮影!

【The soliloquy of the black rabbit of Teuri】


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