校長のつれづれ日記 Episode 20 of 北海道天売高等学校

北海道天売高等学校 定時制普通科

校長のつれづれ日記

Episode 20 カレイの燻製完成!天売学スタート!

 5月に入り、暖かい日が続いています。GWは、フェリー・高速船がそれぞれ2便となり、望遠鏡やカメラを携えた観光客の姿が見られるようになりました。今年も多くの方が訪れてくれることを期待しています。
 今回は、昨年お伝えできなかった「赤ガレイ燻製」についてです。本校では、地域の基幹産業である水産業への理解を深めるため開校当時からタコやサケの燻製、ウニの缶詰など水産実習を行っています。毎年、5月の連休明けは、赤ガレイの燻製を作っています。赤ガレイは、もちろん地元天売で水揚げされたものです。約75㎏と例年の1.5倍もありましたが、生徒たちは手際よく作業を行っていました。
 作業工程を簡単に説明します。①洗浄:まず、水洗いします。②鱗とり:マキリ(包丁)を使い鱗をきれいに取ります。③内臓の除去:目のない方を上にして、えら蓋を開き、マキリを垂直に入れ、内臓・えら・卵を取り除きます。さらに、メフンはしっかりと指を入れて、確認しながら取り出します。④洗浄:きれいに水洗いし、かごに入れます。⑤糸通し:カレイの尾の方に糸を通します。⑥計量:重さを量ります(調味料を作るのに重要)。⑦計量・調味料漬け:カレイの重量に対し、塩・グルタミン酸ソーダを代々受け継がれている割合で混合し、調味料を作ります。次に樽にカレイを並べ、調味料を振り掛け、落とし蓋を敷いて重しをします。⑧テンダがけ:翌日、樽に漬け込んだカレイをテンダ掛けし、燻製室へ入れ風乾します。この後の作業は、作業時間の都合上、高橋先生、鈴木先生、野間先生、土井先生ら水産担当の先生方が中心となって行います。毎日、夜9時に燻乾のため専用容器に入れたおがくずに火を付け、燻製室に入れます。翌朝8時には、燃えたおがくずの灰を回収し、扇風機で風乾をします。さらに、昼の1時半頃に乾燥状態が同じようになるように、カレイを掛けたテンダの上下の入れ替えをします。この作業は4人でなければ出来ず結構な重労働でもあります。このように先生方も裏方として燻製作りに頑張っています。リーダーの高橋先生は、見ただけでカレイの乾燥具合が分かる域に達しています。サブリーダーの鈴木先生は、おいしい燻製が出来るように一枚一枚に優しく声を掛けています。この作業を1~2週間(気温・天候によって乾き方が変わるため)続け、出来上がった燻製は生徒たちの手で丁寧に磨き上げられ、学校祭で地域の方々に試食してもらうまで大切に保存されます。今年の燻製は味付けも良く、おいしいく出来上がったとサブリーダーの鈴木先生が太鼓判を押していました。
 本年度からの新しい取り組みとして郷土学習「天売学」がスタートしました。この授業は、地域の教育力を活用し、郷土の歴史・文化・自然・産業・観光等を学ぶ機会をつくり、生まれ育った郷土を知り、郷土を愛する心の育成を目指しているものです。1回目の天売学は、5月17日(土)に実施しました。1講座目は、本校の尾山教諭が「天売の歴史」と題し、成り立ちや地名の由来などをクイズを交え楽しく講義を行いました。2講座目は、北るもい漁業共同組合天売支所長である 野上 正弘 様を講師に迎え、「天売の産業(水産業の変遷)」について年代ごとの漁獲高上位の魚種の変化やその理由、それには諸外国との関係が大きく影響していることを話してくれました。特に、「先人たちの犠牲と苦労の上に今がある。水産業を守り発展させなければ天売の将来はない。」という言葉は会場の誰しもが考えさせられるものでした。お忙しい中、講師を引き受けていただいた野上様有り難うございました。天売学の報告は、天売学のページでもご覧いただけますので、どうぞ。








【天売高校を振り返る】~page3 開校15年まで~
 昭和40年:水産実習室発電装置設置。学校用飲料水の水槽設
       置。伊藤・倉本・駒崎教諭着任。
 昭和41年:教員の定員一名増。矢野・中野教諭着任。
 昭和42年:野外グランド整地(約千四百坪)。水産加工用真
       空包装装置設置。魚類簡易乾燥室設置(天売漁
       協寄贈)。町田校長、見原・吉野教諭着任。
 昭和43年:校舎増築3教室・給食室増築完工。斉藤校長、菊
       地・那須教諭着任。
 昭和44年:羽幌町議会において、天売高等学校、地元産業後
       継者育成に伴う諸施設設備費予算化についての請
       願採択。川埜・佐野教諭着任。
 昭和40年に水産実習室に発電装置が設置されました。(昼夜送電は45年から)。昭和41年には、天売支所の完成、今は移転しているが前浜に天売漁業協同組合事務所が新築されました。日本にミニスカートブームが起こった昭和42年は、島にカラーテレビが入った年です。さらに今も続く島民運動会の第1回が開催されたのもこの年です。昭和44年には簡易水道が設置されました。30周年の記念誌では、楽しそうに給食を食べている様子や野球部の勇姿が見られます。まだ昼夜送電のない時代、夜10時半に島の電気が消えるため文化祭の練習中消灯となり寒さに震えながらランプの下で練習を行ったとの記述もあります。



内蔵の除去.JPG内臓除去糸通し.JPG糸通し調味料漬け.JPG調味料漬け
おがくずへの火入れ.JPGおがくずへの火入れ燻製室の様子.JPG燻製室の様子
天売の歴史.JPG天売の歴史天売の産業.JPG天売の産業




楽しい給食.jpg楽しい給食野球部.jpg野球部

おまけの独り言

「働き、学ぶ」

 朝日新聞の教育欄にある「いま 子どもたちは」というコーナーで本校が掲載されました(5月8日~10日、14~17日の7回)。今回の掲載で、私の好きな言葉である「今ここで頑張らずに いつ頑張る」(京都大仙院 尾関宗園和尚)を地でいっている生徒たちが取り上げられ、この小さな島で働きながら学んでいる8人の生徒の素晴らしさを全国の方々に知ってもらえたことをとても嬉しく思います。学校の設置者である羽幌町をはじめ、島の青年たちが立ち上げた「おらが島活性化会議」など多くの方々が生徒たちを応援してくれていることに改めて感謝いたします。掲載後、読書好きの生徒の記事を読まれた札幌の大学教授の方や横浜在住の天売・羽幌に縁ある方から、早速たくさんの図書を寄贈していただきました。本当に有り難うございます。
6月からは、海鳥たちの様子が楽しめるシーズンです。海鳥観察と海の幸を堪能しに是非、来島ください。また、本校の教育活動に興味を持たれた方は、いつでも天高生活を体験しに来てください。半世紀を耐えた校舎とともにお待ちしています。
 今回もたわいのない独り言にお付き合いいただき、ありがとうございました。



【The soliloquy of the black rabbit of Teuri】


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