島めぐり風だより Vol.8 (2011.11.4)
『今昔対照』
10月最後の休日は暖かく、ストーブをつけずこたつで大正15年に50銭で発行された月刊写真雑誌「歴史寫愼」をめくっていた。天売高校の近くにある商店からお借りしたものである。85年も前の貴重な雑誌が1年分綴じ込んであり、見ているだけで楽しい。表紙は日本画で、1月号には羽子板を持った着物姿の女性が描かれている。当時の地方風俗、習慣、年中行事や有名な神社・仏閣、山海湖川の勝景や天災地変や時事などの写真に解説がついている。
調べてみると、日本で初めてのラジオ放送が東京で始まったのが大正14年であった。当時はテレビはもちろんなかったが、電波で多くの人に伝える“放送”という言葉は一般的だったのだろうか。北海道で新聞が発行されたのが、明治20(1887)年というから全国各地の事件や世界の動きが、道民に知らされていたのは間違いない。しかし新聞を補完する役割として、写真をふんだんにつかった写真雑誌は貴重であったことだろう。
平成の天売では各戸にIP電話がついており、フェリーの運航状況やゴミの分別を音声で毎朝伝えてくれる。羽幌町役場とも顔を見ながら電話することも可能だ。インターネットは光ケーブルでつながり、サクサクと検索できる。こちらに来てから私は、ドリアンやマンゴスチンといった王様や女王とよばれる果物を産まれて初めて口にした。宅配便で簡単に外国の珍しいスイーツも簡単に手に入るのだ。情報や流通の発達には驚きである。
昨年は10月26日に初雪を観測した天売も、今年はまだ雪の便りが届かない。道内各地で初雪や初冠雪、峠での圧雪情報が信じられないような小春日和が何日もあった。このまま暖冬になってくれればといいのだが、そうは問屋がおろさないだろう。天売高校では昭和30年代には鰊漁が不漁となり、高校生たちが冬に出稼ぎに出て、志半ばで学校を中途退学することもあったという。
先日、当時の様子をフィルムで知る機会に恵まれた。「オロロンの島」と題名のついた1961(昭和36)年制作のテレビドラマだ。この作品は北海道放送初の芸術祭大賞に輝いたドラマであり、舞台が離島天売なのだ。脚本は北海道にもゆかりの深い松山善三氏である。出稼ぎで両親が島を離れ、留守を預かる姉弟が明るくたくましく育つ様子を描いている。厳しくも美しい自然の中で主役を演じたのは、現地で採用された素人の子どもだった。姉に反抗する弟が「このガンゼ野郎(※)」と減らず口を叩く場面では笑ってしまった。ラストシーンは、出稼ぎに行った母親が連絡船で帰島し子どもたちが港まで迎えに行く場面だ。何よりも愉快だったのは、暗い会場に電気がついたときに、フィルムを操作している方が「こんなに大きくなりました」といったことだ。そうなんです、名子役でドラマの撮影後スカウトもされたという少年が、すっかり立派になってその場にいるのだ。まるで映画の1シーンを観ているようだった。
昭和20年代には13校あった北海道の水産単科高校は小樽、函館の2校だけになってしまった。水産高校で学んでいる生徒たちが、日頃の学習の成果を発表する場として、32年の歴史をもつのが「水産クラブ発表会」だ。天売高校は、以前より参加発表をしている普通科として全道唯一の高校であり、その活動は本校の特色にもなっている。
地域も学校も昔があり今がある。そして今がある恩恵は、先人たちの努力の上に成り立っている。教師は、水産実習や水産基礎を学び、地域の基幹産業である漁業の発展に貢献している自負心を生徒に伝える使命を忘れてはならない。また、出稼ぎに行く生徒がいない幸せも伝えなければ。
※ガンゼ:天売の名産ムラサキウニのこと。以前はバフンウニとよばれるトゲの短いウニが主流だった。