2009年6月の日記 of 北海道天売高等学校

北海道天売高等学校 定時制普通科

2009.6「御輿かついで、地域支える」

 6月に入ると、全ての漁が禁止となる「沖止め」の日が3日間続く。「島民運動会」に「厳島神社例大祭」、「海難遭難者者慰霊祭」。その日は、全島あげての島内行事が行われる。今回は、「厳島神社例大祭」での独り言。苦しい時の神頼み程度の信仰心しか持ち合わせていない私だが、れっきとした祭典役員。朝早くに神殿に出向き神事を見守る。どぎまぎしたのが玉串奉奠(たまぐしほうてん)。玉串に自分の心を乗せ、神に捧げると言う意味が込められているそうだ。作法が分からず、前の人の動きを必死に観察しながら自分の番を待つ。名前を呼ばれて祭壇前に進むが、ロボットのようにぎこちない動きが自分でも良く分かる。なんとか終えて席に戻ると、ほっとしてため息が出た。神事の最後に、神の宿る場所から御神体を取り出し、御輿に入れる。低頭した役員が両手で白布を高くかかげ、御輿を囲む。宮司が懐で隠している御神体を御輿に入れるところで、覗こうとすると「見てはだめ!」と一喝。御神体が宿った御輿が神殿から出され担ぎ手に渡されるが、この御輿、明治3年の作で管内でも最重量級といわれる代物で、年々若者が減少し、担ぎ手の確保が困難になっている。そこで登場するのが、本校が誇る肉体労働者。男性教師7名が助っ人参加する。御輿が鳥居をくぐり、行列が始まる。先頭は猿田彦神(天狗様)、続いて、小中学生の吹奏楽団、お囃子、御輿、宮司、最後に踊り子隊(舞踊サークル)。約7時間の道のりを、途中の祭壇でお神酒をいただきながらひたすら歩き、ヘロヘロになって鳥居に戻る。御輿が鳥居をくぐると祭りは終了だが、ここからがクライマックス。御輿が鳥居をくぐろうとすると、御神体から「まだまだ終わりじゃない」、との神力が働き御輿を戻す。そのせめぎあいが担ぎ手の間で何度も繰り返される。大勢の島民が集まってきた。観客はやんやの喝采。担ぎ手がくたくたになったところで、ようやく御輿が鳥居をくぐり、祭りは終了した。本当にお疲れさん。担ぎ手で活躍した先生方の一言。
「練り歩いている時は、御輿が重くて地獄。終わった後は、体の痛みで地獄。でも、疲れた体で布団に入って泥のように寝る瞬間は天国。(Y.O)」「肩が痛い!これが神様の重さなんだ・・(Y.S)」「肩が棒に届かず、みんなと違う場所が痛かった(S.M)」「全身が火を吹き、燃え上がった。もう少し楽しみたかったと後悔。(後の祭り?)(H.S)」「人家のガラスを担ぎ棒で割るのを間近で見て衝撃的。肩をどう鍛えればよいのか。(K.S)」「初体験でとても緊張。島民のおおらかさに触れ、楽しく担いだ。数日間は筋肉痛で悩まされる。焼尻は担ぎ手がいなくて、御輿を車で運ぶとか。天売の御輿担ぎの永続を願う。(H.T)」「最後は力尽きた。恐るべし、御輿!来年はもう少し楽に鳥居をくぐりたい。(T.M)」
 後日、島の青年から「今度、先生方とソフトボールを楽しみたい」との連絡があった。御輿担ぎはただのくたびれ損ではなく、確かな成果をもたらした。思わず、心の中でガッツポーズ。ソフトボールには20名ほどが集まり、熱戦がくりひろげられた。その後の懇親会は大変な盛り上がりを見せ、島の青年達との交流が深まる姿をながめながらの酒は格別であった。

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