2008年10月の日記 of 北海道天売高等学校

北海道天売高等学校 定時制普通科

2008.10「風雪に耐えて半世紀」

 10月にはいると島民生活の生命線であるフェリーの運航が一日一便となる。「天気晴朗なれど波高し」の状態が多くなり、時化で欠航する日も徐々に登場しつつある。厳しい冬に向けての「心の準備」の季節を留鳥のオオセグロカモメと共に迎えている。
 本校は10月1日の開校記念日を境にして、前学期・後学期に分かれている。開校記念日を祝う意味で、天売高校の歩みを振り返ってみた。
 天売高校は昭和29年10月1日に天売村立天売高校として、天売中学校を仮校舎にして開校し、今年で55年目を迎えている。翌年、天売村と羽幌町が合併し、羽幌町立北海道天売高校となり現在に至っている。当時は太平洋戦争が終わって10年が経ち、日本社会は戦後の混乱から落ち着きを取り戻しつつあったが、天売島では島の経済を支えていた鰊が捕れなくなり厳しい時期となっていた。高校生も出稼ぎをしなければならず、20~30名位入学しても、卒業できるのは何分の1と言う年もあったとの事。開校当初は中学校の校舎を夜借りての学校生活であったため、気を遣いながらの校舎使用。また、冬になると停電することも度々あり、雪明かりをたよりに家路についたそうだ。独立校舎が完成したのが10年後の昭和38年、同時に水産実習室、燻製室も完成している。5年後には校舎の増築、体育館が完成したのが昭和49年。現在の校舎の形が20年かけて、ようやく完成したわけである。当時の関係者の喜びは計り知れないものがある。
 赴任当初、校舎のあまりの古さに、「小中学校新築の際に高校も仲間入りさせてもらえなかったのか?」と思ったが、今は違う。この校舎には天高生が築いてきた歴史と伝統がしみこんでいる。
 夏休みにこんな事があった。おばあさんと息子、孫が玄関先で校舎を眺めているので、観光客かと思い、校舎を案内した。良く話を聞くと、おばあさんは当時、冬の間のみ主婦を対象に行っていた編み物教室に通っていたそうだ。「校舎は全然変わっていない。懐かしい。」と感激している姿を見ると、この校舎は他のものには代え難い、素晴らしい宝物に思えてくる。在校生にはこの校舎を可愛がって使ってもらい、天売高校の歴史と伝統を引き継ぎ、心優しく環境に優しい、立派な社会人に成長してくれる事を願っている。

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